「結婚式教会」の誕生

「結婚式教会」の誕生

「結婚式教会」の誕生

 朝日新聞の書評(斎藤美奈子)を見て、これを注文。そう言えば、最近、日本に増えている結婚式教会(というかすごいチャペル)に関する建築家の観点からの批評集。
 日本中に数多くの結婚式教会を探索し、その建築の意匠を研究している。
 ほとんど似非「キリスト教式結婚式をする教会」は、女性の立場の向上のゆえ、結婚式の決定に女性の意志が強く反映するようになったこと(男は別のどこでもいいし、「教会」で映えるのは女性)、西洋へのあこがれのゆえ(バロックとクラシックの両方の要素をいい加減に混ぜ合わしている、日本特有の西洋へのあこがれ、これは白人偽牧師の登場も含まれる)、そして裕福な大衆社会のゆえ(結婚式教会はあくまで消費されるものである、そして見える場所だけお金がかけてあり、見えない所はいい加減)、生まれてきたことが述べられている。
 結局、日本人の(無)宗教意識の問題である、と著者は結論付けている。通過儀礼を「日常空間を異化する場」で行うことができれば、どのような宗教儀礼であっても、交換可能なわけだろう。
 新年の初詣でも、一年を始める意味での通過儀礼に過ぎないのだろう。そこに、ほとんど宗教性はないのかもしれない。
 全人格的な生き方を問題とする「キリスト教」が日本に浸透しにくいのは、マーク・マリンズが言っているように(この本を読まねばなあ)、アラカルト型で、統一性なく適当に宗教(または儀式)を選ぶ(いや消費するか)日本人性のせいなのだろう。

メイド・イン・ジャパンのキリスト教

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