謝るということ

 「ごめんなさい」と謝ることは大切である。
 それは、単に「悪いことを悪いこととして認める」意味だけで大切なのではない。相手とのコミュニケーションを回復するために謝ることが大切である。謝らないで、会話を続けようとすると、どれだけ相手へのねぎらいの言葉を繰り返してもそれは届かない。なぜならば、相手に対する反発が残りつづけるからである。しかし、もし謝ったとしたら、相手とのコミュニケーションは復活する。「いやあ、謝らなくてもいいよ」ということで、そこからコミュニケーションが生まれる。
 もちろん、キリスト者として、相手が謝らないからといって、こちらからコミュニケーションを断つことは適切ではない。しかし、キリスト者も人である。弱い存在である。牧師も当然だろう。「コミュニケーション」を断つことはしないとしても、継続していくだろう。しかし、いろいろな意味で困難を覚えながら、続けなければならない。
 コミュニケーションの力としての謝罪を覚える。