強引だなあ

 昨日、なじみの先生から電話が有り、宣教学に関する会議で話をするように依頼される。他宗教との対話がテーマらしく、一体何をすれば、と思っていたが、どうも「空」の概念を鍵に話をすることを求めているよう。そんな訳で、引き受けることに。まあ、伝道の書の「空」の概念に関してはほとんど問題なく考えることができるので、考えなければならないのは、仏教とのかかわりのの中で、「空」をどのように捉えるか、という点。適当な人を選んで、仏教の空の概念を明確にする。続いて、日本のキリスト者を選び、その人が伝道の書の「空」の概念をどのように捉えているかを明確にする。最後に、伝道の書そのものの「空」の概念をはっきりさせる点。これらの比較を通して、諸宗教観の対話について何がいえるのか、という点が結論となる訳。
 結論ははっきりしている。日本のクリスチャンたちは「空」に関して適切な対話を行っていない。自らの正典に描かれている概念を適切に理解していない。そこがはっきりしない限りは、有効な対話はできない。
 さて、これをどのようにして導いていくか。これからが勝負。
 ちなみに日程は来年の6月30日(土)。どうしよう。