当たり前のことを言う

 いくつかのテレビの連ドラを見ているが、昔なら当たり前のこと(たとえば、夫婦は相手の話を聞く、食べ物を粗末にしないなど)がドラマの主題となる時がある。そして、当たり前のメッセージが普通の人によって語られるのではなく、カーボーイのおっさん(ギャルサー)や夏目漱石吾輩は主婦である)によって語られるようにしている。現代人が普通に言えば拒絶されてしまうような当たり前のことでも、古代の人や変な人なら言える、と考えているのだろう。言い換えれば、作者(脚本家)の視点は時代や文化が異なる誰かによってでしか表現されない時代なのかも知れない。