さいはての島へ―ゲド戦記 3
- 作者: アーシュラ・K.ル・グウィン,ゲイル・ギャラティ,Ursula K. Le Guin,清水真砂子
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 1977/08/30
- メディア: 単行本
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誰だって、何だって、そうだ。永久に生き続けるものなど、ありはしないのだ。ただ、わしらだけは幸いなことに、自分たちがいつか必ず死ぬということを知っておる。これが人間が天から授かったたいへんな贈り物だ。人間であるという・・・な。(p.202)
何となく、コヘレトの発想と似ている点がある。自らは死ぬべきものであるという事実を受け止めることこそ、ゲド戦記で繰り返されているように自らのうちにある(いや、避けることのできない)闇を真っ正面から受け止めることこそ、生きる力となる。だから、「不死」という名の永遠の命を得ようとする行動から世界に悲劇が起こる、という設定にしたのだろう。つまり、死を否定することによって、皮肉なことに、死が生を侵食する。そして、生が力を失っていく。ところが、死を真っ正面から受け止めることによって、生は生として輝く。
キリスト教的に考える時、キリストの「不死」ではなく「死と復活」という観点でものごとをとらえている点は、ゲド戦記の理解からいっても力だと考えられる。キリストは避けることのできない死を、避けることなく、真っ正面から受け止められた。復活があるから死が軽くなったと考えたとしたら、それは死の現実を重んじる(正統的な)キリスト教思想に反するだろう。キリストは不死を獲得したのではなく、生が死に勝利したのである。このあたりは、もう少し、思索を深める必要があるだろう。